保険 相談に関するビジネスと今後

日本は貯蓄の超過分を貯蓄の足りないアメリカに移動させたが、その際、ドルを介在させることによって、国民の汗の結晶を本来あるべき姿では残せなくなってしまった。
こうしたドル建ての資本環流を、中心的債権国である日本が行ってきた背景には、冷戦構造下の日米関係の強い、しかし特殊な紐帯もあったであろう。
あるいはそれ以前に、世界の政治的リーダーと自負するアメリカに、ECのようなグループの後ろ盾もなく、日本が単独で向き合うという国際政治の構造があったことは否定できない。
だが、そのことによって、日本の金融政策当局は免罪されるのだろうか。
「円」ほど、強く切上げられながら、リーダーシップを発揮できていない通貨もめずらしい。
率直に円の役割を前面に出すことに、じつはディレンマを抜け出す一つの鍵があったはずである。
金融当局は、早い段階で、ドル離れを実行に移せるように、さまざまな施策を練るべきであった。
ドルのみならず、マルク、ポンドあるいは金などにも分散投資を行うよう金融界をリードすべきであった。
さらには円建てによる貿易や対外投資チャネルの形成など、円を基軸とする世界を構想すべきであったし、それはけっして不可能ではなかった。
彼らが、できることをせずに、ひたすらウォール街基準を金科玉条にしてしまったのはなぜなのか。
この間題を検証する前に、九〇年以降、バブルを崩壊させた日本経済が、さらなる円高攻勢の前に破滅へと導かれる、マネー敗戦の最終局面を、以下二章にわたって見届けておこバブル潰しの日米共闘土地と株式という、わが国の二大投資対象が連動して上昇したバブル経済は、八〇年代末期に頂点に達し、九〇年代に入るや、瞬く間に崩壊していった。
バブル経済の生成は、ジャパン・マネーの対米資金流入を継続させるための長期にわたる低金利政策が主因ではあったが、とくに指摘しておきたいのは、こうした政策の効果が、とかく画丁的行動に走り健全なチェック機能を欠く日本人、あるいは日本社会の特性によって増幅されたことである。
ここで一七世紀オランダのチューリップ投機が思い出される。
オランダでは、古くから銀行家、投資家のみならず、一般庶民にいたるまで投機本能が強く、これが当時はチューリップなどという対象にまで及んだ。
国民は'新奇な品種を求め、高値で売ることによって財産をつくるという投機熱に浮かされたのである。
しかし、重要なことは、それでもこうした動きに対しては、カルヴアン派、ルター派の厳格なプロテスタントの教義が一定のチェック機能を果たしていたことである。
さらに、一八世紀に起きたヨーロッパの不況を例に引いてもいい。
これは明らかに投機の崩壊によるものであったが、危機はイギリスにくらべ、フランスでは、はるかに軽微であったという。
チャールズ・キンドルバーガーは、フランスでは厳格な破産法が投機心理を抑制したため、とこれを分析している。
また、彼は、投機心理に対するジャーナリズムの機能にも注目している。
オランダでは宗教、フランスでは法律という時流チェックの堅固な力が、社会の一部でしっかりと作動していた。
日本では道徳や宗教が「規律」として機能することは希であるし、破産関係の法律もさして厳格とはいい難い。
たとえ当時、一部に抑制的動きが見られたにしても、官民一体となった債権国景気の前には、おそらく何の効果もなかったであろう。
バブル経済を八六年の「前川レポート」が打ち出した「内需主導型経済への転換」だと称賛したのが、当時の主流的論調でもあった。
したがって、こうした日本の経済社会を覆っていた同質性、同調性が、バブルの生成ばかりではなく、その崩壊にまで深く関わっていたとしても何ら不思議はない。
バブル末期に、マスコミなどを通じて急速に立ち現れてきた、すさまじいまでのバブル潰しの空気が、合理的調整の範囲を越えた政策を金融当局に選択させる結果となるわけだが、ここで興味深いのは、八九年から九〇年にかけて進行した日米構造協議の過程で、そうした日本国内の世論とアメリカの対日圧力とが、微妙に共振していたという事実である。
このように書くと、あたかもアメリカによる世論操作の存在を示唆しているように受け取られるかもしれないが、現実に展開したバブル崩壊へのプロセスを検証すると、実際、それを全面的に否定することは難しい。
同じバブル時代の日本経済のパフォーマンスを、アメリカの経済政策中枢と日本の一般国民が、それぞれにどう受け止めたのか。
そこから、どのような「共闘」の力学が生じたのか。
アメリカ側の事情から見ていこう。
八〇年代の末期から九〇年代にかけて、国際政治の面では大きな変動があった。
いうまでもなく冷戦の終結がそれである。
ソ連という「悪の帝国」を共通の敵として意識しなくなった日米関係のなかで、とくにアメリカ側の対日認識が、それなく変質せざるを得なかったのは当然であろう。
にわかに元気づいたアメリカの日本異質論者に、「ノーと言える日本」を標梯する日本側のナショナリズムーいま、こうした当時の日米関係を背景にふり返ると、日本のバブル経済の絶頂期において、アメリカの対日経済戦略に、通商派、資本市場派といった立場の相違を超えた明白な変化が兆していたことがわかる。
八〇年代後半の低金利政策が結果としてバブル経済を生み、そのバブルによって「国際政策協調」が成り立ち、対米資金流入が維持されていたことはすでに見たとおりである。
その限りでは自身にとってもメリットの大きかった日本のバブル経済を、しだいにアメリカは「脅威」として認識するようになる。
その最初の端的な現れは、邦銀のマネー・パワーを減殺すべく設けられた先のBIS規制であろう。
ところが、日本の銀行は、そのBIS規制をも楽々とクリアして行くかに見えた。
BIS規制の定める自己資本比率の基準を、分母の資産を圧縮せずに達成するには、分子としての自己資本を増加させる必要がある。
株高による含み益の増加は、その四五%がこれに寄与することになったわけだが、ここで邦銀は、含み益の増加のみに頼らずに、銀行自身の高株価を背景にエクイティ・ファイナンス(株の時価発行増資)で、基準クリアへの最短距離を走ろうとした。
BIS規制の強行突破である。
株式の時価発行で得られる資金がそのまま自己資本として積み上がるわけで、何より即効的であるうえ、九三年が目標年次であれば、これを急がざるをえない事情もあった。
高株価の秘密ジャパン・マネーの巨大化に危機感をつのらせたアメリカの警戒感は、例えばダニエル・バースタインの原著書などに如実に描かれている。
邦銀は、その進出を食いとめる装置としての「BIS規制」をも、株高、土地高を利用して楽々とクリアしようとしている。
日本の直接投資によって、いつかはアメリカ全体が「買い込まれてしまう」のではないか。
なぜ日本は、きわめて低いコストで大量の資金を調達することができるのか。
アメリカは、日本のマネーパワーの根源を、もっぱらその高株価、高地価に見るようになった。
高株価についていえば、これは戦後日本の株式市場に見られる特異な歴史の産物である。
銀行はBIS規制に強制されてのことであったが、かねて日本の一般企業にとって、国際競争力強化のための自己資本充実、なかんずく、自己資本の対米格差を埋めることは悲願であった。
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